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雨ですが。

皆さんご機嫌いかがでしょうか?
寒いでございますね。

今日は、なんとなく過去の話。
みなさん、ぺルテスってご存知ですか?僕は、9歳(小学3年生の後半)でその病気になりました。病状などは下記を参考に。

ぺルテス病とは?(MyMedより)

という病気です。はい。
そんでもって、愛媛整肢療護園に1年間入院しておりました。学校付きのリハビリステーション的な病院です。
この一年間で大きく性格が変わったと、僕の母は言っておりました。

僕のぺルテス病は、そこでは低い重度の病気で、下半身がまったく動かない女の子。体の全ての機能を動かすのが困難な男の子。心臓に爆弾のようなものを抱えてる男の子。他にも数えきれない程の病気を持った男の子、女の子がいました。ほとんどの子は、生涯つきそう病気の子ばかりです。

そこで僕は、1年間過ごしました。

最初の2ヵ月は、ずっとベットの上。トイレの大きい方以外は、ずっとベットの上です。勉強も先生がきて、ご飯もベットまで配膳されていました。

次の6ヵ月は、車いす生活です。学校・食堂・トイレは、車いすで移動していました。もちろん、何があっても歩いてはいけません。でも、当時子供だった僕は少し歩こうとしていました。もちろん、看護婦さんに怒られましたが。あ、リハビリもこの頃から始まりました。

そして、次の2ヵ月は、義足(ポゴスティックだったような)をつけてのリハビリ・歩行でした。三本目の足をイメージして頂いたらわかりやすいでしょうか?丁度、股の間から一本の棒があるような感じです。その棒と、病気のしていない足で歩く感じです。周りにも僕と同じ、ぺルテス病の子がいて、僕よりも先に入院しているから、その義足は車いす生活の時から憧れていました。

そして、最後の2ヵ月は歩くリハビリ・歩行の生活です。不思議なもので、三本目の足で歩いていたので、本当の自分の足で歩くと、自分の足じゃないみたいでした。癖もなかなかとれないし。

これは、僕の病気の治っていく過程ですが、そんなことよりも、そこでの生活が僕を大きく変えたんだと思う。子供の頃の僕は、周りが『病気の子』ということは一切何も感じていなかったと思う。(もちろん僕も病気でしたが)ただ、僕の友達だった。なんて伝えればわかるだろうか?『病気の子』とか『病気じゃない子』とかのくくりでなく、『一緒』だったんですよ。泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、同じレベルで生活していました。正直、今、その生活をしたら、そのレベルで一緒に生活できないだろうな…って。でも、母が言うように本当にあの入院生活が僕を変えたのかもしれない。いつか、愛媛整枝療護園にいけるといいな。

ちなみに、小学生4年生だった僕は、石川先生という看護婦さんに夢中でした。


また、過去談しますね。






Tag:ひのにっき  comment:1 

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# 2009.02.28 Sat01:57
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プロフィール

ひのにし けんいち

Author:ひのにし けんいち
●造る人達en:en代表・劇作家・演出・役者・小道具
●1981年4月28日/AB/愛媛県出身
●趣味(一人居酒屋/人間観察/創作料理/無駄に悩むこと)

2001年より劇団ひまわり入団。研究過程終了後、2004年よりaxleに所属。その後、脚本・演出家としてデビュー。2009年に『造る人達
en:en(当初en-en)』を旗揚げ。他にもイベント企画・制作・運営などマルチに活動中。

●問い合わせ先
hino_en@yahoo.co.jp

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